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人物と歴史
風雲の異端児 頭山満 広瀬仁紀より

頭山家の養子

「筒井の三男坊は、こんどは土佐にいっちまったのかね。
頭山の家も、とんだやつを養子にしたものだな。
二年前には長府あたりの獄に放り込まれ、やっと出牢かと、ほっとするまもなく、
土佐に出かけられたのでは、頭山の歌子さんも気が気ではあるまい」

平岡浩太郎が憮然とした声で語った。

頭山満が、旧福岡藩士の筒井亀策方から出て、西川姫町にある頭山家に入ったのは、
明治六年であり、当時、その家には後家になったばかりの歌子と、娘の二人が住んでいた。

家を廃絶させぬことが、当主のもっとも重い責務であった武家の習いに従って、
頭山家の一人娘、峰尾と満が祝言をあげ、頭山家を相続したのだ。

そのとき、峰尾はなんと9歳、満は24歳であった。

「ところで頭山はだれに会うつもりでいるのだな…」

「なんでも、板垣さんと面談するといっていた」

「な、なんだと」

平岡は返答を聞いて仰天した。

当時、板垣は旧姓を乾といって旧土佐藩の譜代であり、名を退助というが、
戊辰戦争で名をあげ、明治4年には西郷隆盛らと「参議」にまでなり、
征韓論で下野して「立志社」を設立した、42歳の英傑の一人であった。

「前参議の板垣に、そう容易に面会できると、頭山のやつは思っておるのかね」

平岡は苦笑しないわけにはいかなかった。

しかし、すでに高知城下を歩いていた頭山は
(どうでも面談した上で、板垣を説得してやる、今こそ板垣を頭領として挙兵し
藩閥政府を四散させねばならぬ)と正気でそう思いながら野面を歩き続けていた。
そして、頭山は寓居に板垣を訪ね、ほとんど強引に面会を求めたのだった。

当時の板垣家では、西郷が城山で斃れて以来、各地の不平士族が続々と訪ねて来られ、
悲憤慷慨して政府攻撃の思いを論じていたが、みんなただ自論を展開するばかりで、
板垣の論には耳を貸さなかったために、癖々した板垣はそうした来訪者と会わず、
植木枝盛や片岡健吉が代わって応接をしていた。

「その男も天下国家のことで、おれに建言するといっておるのか。
飯でも食わせて追い払ってしまえ」

と、板垣が言うと、
「それが先生…お指図を待つまでもなく、飯を馳走したところが、
悠々と15.6杯も食い倒して…」

「なんだと!!」

「しかも、口がすっぱくなるほど、先生はお留守と繰り返したのですが、
それにうなずくきりで返事もせず、居留守はおたがい書生には迷惑じゃねぇ、
と呟いて、ごろりと横になり大鼾をかいて寝ております」

「はっはははは……、そいつはどんな風体だ」

板垣は大笑いして尋ねた。

「背はあくまで高く、六尺有余、肩の幅も広く、
胸板はがっしりとして厚く張っています」

「それでは相撲の力士のようだな…。なるほど大食らいなはずだ」

「衣服があまりに粗末なので、理由を尋ねたところ、
路用が不十分であったため、途中を野宿で来たといっておりました。
もっとも当人は汚れていても垢はついてはおらぬ。
下帯だけは洗うわけにいかんので、そのたびに道中で捨ててきたので
二日前になくなったと威張っています」

「おもしろそうなやつだ。ここに通せ。会ってやる」

板垣は好奇心に負けたのだった。

案内を受けて座敷に入ってきた頭山は、板垣の前にすわり、
思いがけないほどの丁重な礼をした。
そして、「本日は、板垣先生のお覚悟を承知いたしたいと思って、
参上いたした次第であります」といったきり沈黙し、黙ってしまった。

「お覚悟を…」と頭山はいったが、
それが中央政府弾劾の挙兵のことであることは板垣にもわかっている。
それ故、(これでは逆だと内心で苦笑しながらも)
板垣は武装蜂起による愚と、民権論をもって政体の改革という自身の説を、
口から泡を吹くような勢いで語り続けた。

 

頭山は背筋を伸ばしたまま微動もせずに座っていた。

そして、その論が、三時間も続いたとき、
頭山は座を滑って叩頭し、この男とすればめずらしいほどに興奮した声で叫んだ。

「先生っ、あたきもすぐたくりそれじゃ」

福岡訛りの方言で、自分もただちにそうする、というほどの意味である。

お互いに全身に汗が滴っているほど全身の気根をこめて語り、傾聴したのだった。

桂浜から便船に身を投じた頭山は、遠ざかる土佐の山河を眺めながら、
舷側に佇み続けた。
板垣とともに挙兵することは忘却のかなたにあり、
昂然たる気分にとらわれて、
「今にみとれっ、民権論を振るって、藩閥政府をたたきつぶしてやる!!」
と叫びたいほどに思っていた。

そして、その年、同志とともに福岡県本町に向陽社(のちの玄洋社)を設立し、
獅子がうそぶくかのようにいい放ったのだった。
「きっと黒田武士の意気をみせてやるぞ。どいつも腹ばくくって待っとれ!!」
敬愛してやまなかった西郷隆盛が憤慨してやまなかった、
中央に屹立する藩閥政府の腐敗、堕落を改めることを誓ったのだった。

頭山満23歳の時でした。


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